
ミラノで考えた「強み」への問い/イタリアの戦後とデザイン
― ここから伺いたいと思っています。冨田先生がイタリアから帰国されたときに書かれたFacebookのエントリです。これすごく印象に残りました。どういうことを今回の訪伊で考えてこられたのか。

冨田 まずめちゃくちゃシンプルに言うと「イタリアがすごい」とか「海外がすごい」という以前に、「日本の人が外に行かなさすぎる」っていう根本的な問題に気付かされたんです。
コロナ禍の前だから10年くらい前に「日本のここは優れている」とか「日本は海外の国に比べて優位性がある」といったことを、なかば幻想のように信じていた頃ってありましたよね。でも実際に海外に出てみたら、事実とは異なっている。そういったことが山のようにありました。
自分たちが強みと思っていたことは、実は1ミリも強みではなかった。外の世界を知って痛感するということが、個人でも企業でも起こるわけです。事実ベースで。
「日本の強み」は幻想か
冨田 食品業界が例としてあげられるかもしれません。「日本の食は世界から称賛されている、しかしまだ知られていないから、しっかりと世界に出していかなければいけない」といった問題意識を耳にすることがありますよね。でもその問題意識が、そもそも間違っているのではないかと思うわけです。
どういうことでしょうか。つまり、日本食が世界から称賛されているのでは決してないということです。「日本の焼き鳥すごい」「ラーメンすごい」ってSNS等で取り上げられますが、そもそも日本好きな外国の方が日本に来ての感想ですよね。それって決して称賛されているのではないわけです。
「コンビニのたまごサンドがすごい」という話にしても、コンビニという場所で売られているなかでこのクオリティはすごいね、という話。文脈の話であって、強みでもなんでもないわけです。海外の、例えばですがジャンク中のジャンク、クオリティなんて全然意識しないような売店で売っているようなたまごサンドよりは、日本のコンビニで販売されているたまごサンドはめちゃくちゃ美味しいよね、しかも値段は円安だし全然安いよねって言われていることを、ともすると「日本のたまごサンドが世界で称賛されている!」と勘違いしてしまっている。外を見ていないがゆえに陥ってしまう怖さ。典型的ですよね。
― いわゆるエコーチェンバーとも言えるかもしれません。日本に来られる外国人の方は日本が好きで来ていて、大嫌いな人はそもそも日本に来たいとは思わない。
冨田 そうですね。こういったことと似た事例が、いろんな領域で起きているなとは思います。
砂に頭を突っ込むダチョウ
― 外というのは、国の外だけではないように思えます。
冨田 例えば会社の外とかでもそうですね。とにかく自分たちの外側。コンフォートゾーンの内側に閉じこもって、外側に出ていかないっていうのがポイントですね。
― 海外の場合は、コロナ禍というのがわかりやすく国外に出られなくなった。一方コンフォートゾーンから抜け出さない日本人って昔から言われていますよね。もしかしたら鎖国という状況も少なからず影響したのかも、なんて思うのですが、昨今その傾向が特に強まっているようにも感じます。その要因はどういった事が考えられるのでしょう?
冨田 昔は恵まれていたと思うんですよね。恵まれていて、外に出て行く必要がなかった。だけど今はなんか、ダチョウみたい。
― ダチョウですか?
冨田 ダチョウって、本当に危機に瀕すると現実逃避するために砂に頭突っ込んで外の世界を見えなくするんですって。知ってます?
― そんなことあるんですか。
冨田 そうなんですよ、そんな感じ。超現実逃避。現実逃避して外に出てこない。
― はじめて知りました。
冨田 違う言い方でいうと、オンラインでいろんなことができるようになったからねって言う人もいるですが、コロナ禍以降、オンラインが普通になったから海外や外部とのやり取りがスムーズになっているケースって、ほとんどないんですよね。
ミーティングとかは別として、本当に競争力を発揮するための場面で、オンラインで事が成される局面って多くはない。肌感としてそう。
― そうですね。
冨田 やれることが、どんどん内々に。内側に絞られていっているように思います。
― 日本の内需消費力がまだなんとか生き延びる分くらいある、ということは関係しているのでしょうか?
冨田 ギリギリだと思います。怖いことを言っちゃいますが、このままだと食べられるモノもなくなり、飲める水もなくなることだってありえます。
褒め言葉の裏側
― そんなことを、ミラノで考えたということですか。
冨田 もうなんか、日本や日本人が置き去りにされている感はすごいですよ。
海外で会う人はみんな、日本人の我々が行けば日本のことを褒めてはくれます。でも一生懸命褒めてくれるってことは、裏を返せば本当はそうではないということなんです。褒めるところをわざわざ見つけて褒めてくれている。
「あなたは頑張ってるよ」って、どういうときに言います? めちゃくちゃできている人には言わないじゃないですか。
― 確かに、ちゃんとできている人には言わない。
冨田 日本が賞賛されているとか、「この部分、この領域が強いと言われている」と思い込んでいる。それは幻想。なんというか、死に行く人を元気づけているだけ、気休めみたいなっていう部分も極端な言い方としてはあるかな、と考えてしまいます。
― とはいえイタリアも問題は抱えていますよね。政治的な問題、移民の問題、イタリアに限らずヨーロッパ全体も含めた経済問題などは以前からずっとあるように思います。治安とかどうなんでしょう。
冨田 確かにイタリアの経済の状況は良くはなく、移民などの問題もあります。良くも悪くもヨーロッパは地続きで、対応しなければ行けない現実問題が山積みです。とはいえその対応は、大成功ではないですが確かなアクションを起こしている印象があります。トップ1%の超優秀層がかなりしっかりとしていて、その人たちが組織や社会を動かしている感じはすごく受けますね。アカデミアも産業界も、政治も。
治安も、数年前は結構怖いなと思ったけど、今は全然大丈夫ですよね。
渡辺 ミラノではあまり不安はないですね。
― 治安が大変なのはローマという話を最近聞きました。
渡辺 確かにローマのほうが、今はちょっと危険な街ではありますね。でも、かなり厳しく取り締まるようになったんじゃないかな。この2〜3年。
ラディカルデザイン―政治とデザインの関係
― 日本ではちょうど総理大臣が辞めるといって、国のリーダーをまた変えましょうと。先日の参議院選挙でも極度の政治不信だったり極右の台頭といったりと問題が出てきていますが、イタリアでは政治と信頼の話はどうなんでしょうか。
渡辺 私がイタリアデザインを勉強したときに学んだんですけど、イタリア人ってそもそも政治を頼りにしていませんよね。やはりムッソリーニに代表されるファシストの時代があった。イタリアではそれがネガティブな歴史として根強く残っていて、政治家をそもそも頼っていないんですね。
だから自分たちで何とかしなきゃだから、自分たちで家族を守っていこうみたいな、そういう結束が強いんですよ。家族主義。そういうのもあって、映画で見るようなマフィアとかも関係があるみたいです。
― ゴットファーザーの世界ですね。まさにファミリー。
渡辺 そうそう。だからなんていうかな、ちょっとした汚職じゃないんですけど、うちの家族を守るためにここはいいことにしてよみたいな感じだったりとか。そういう習慣というか、土地柄というか。
― 確かに、私はイメージしかないですが、以前の首相だったベルルスコーニ氏なんて、まさにそういうイメージがありますね。
渡辺 デザインの歴史ってそういうところから始まっているという考え方もあるみたいです。政治との関連。政治を信頼しないからゆえのデザイン。ちょっと話が長くなるかもしれませんが大丈夫ですか?
― 大丈夫です。
渡辺 1960年代くらいから、ポストモダンというデザインが世界中を席巻し、いわゆる「イタリアデザイン」として有名になっていったわけですが、それが始まったのが第二次世界大戦後。合理主義のデザイン、いわゆるドイツから汲み取ってきた合理的なデザイン手法のもと、狭い場所にたくさんアパートを建てて、効率的に合理的にスペースを使って、小さな部屋を、日本の公団みたいに作っていったわけです。戦争で焼けてしまったので住むところがなくて。
アパートを作る。効率的に合理的にスペースを使う。そういうところに、デザイナーが借り出されたらしいんです。デザイナーたちは、いやいや、そんなことするために俺たちは仕事してるんじゃないよって。そこから生まれたのが「ラディカルデザイン」。
― まさに反体制的な。
渡辺 ラディカルデザインから、もっとデザインって自由であるべきだよねって「ポストモダニズム」が生まれたんですね。それは非常にカラフルで、例えば本棚を作るにしてもとても本棚には見えないようなフォルムで、とても自由で楽しくて。デザインって自由で楽しくて良いんだよねって、それがアメリカで非常に受けた。イギリスでも受け入れられて、例えばデヴィッド・ボウイだったり。それで世界中で有名になっていった。
イタリアのデザインの潮流を探ると、そんな背景があるみたいですよ。
ポストモダンの源流
― イタリアといえばデザイン、デザインといえばイタリア。そんなイメージがありますが、そのイメージは戦後に生まれたということなんですか。
渡辺 1960年代以降のブランド、いわゆるポストモダンの時代からですね。それまではそこまで奇抜ではなく、普通の、いわゆるヨーロッパデザインですよね。ルネッサンスだったり機能的な家具とか、そういうのはもちろんいっぱいありましたけど、イタリアならではの、今皆さんがイメージするような、カラフルで、ちょっと変わったデザインというのは60年代以降と言えると思います。
― 意外でした。デザインと言うとファッションが思い浮かびますね。まさにミラノは「ファッションの都」と言われます。それは紡績とか繊維産業が発達していたからというですか。
渡辺 ファッションのデザインと家具デザインとかは絡み合っているようです。私もまだその関係性は学んでいる最中ですが、繊維、紡績、ファブリックをつくったり、木工で家具をつくる工場、そしてプラスティックやファイバーという素材技術、新しい技術が生まれ発達していた時期がまさにポストモダンなんですよね。
当時、「デザイナー」いわゆる意匠のデザインをするだけではなく全体の設計者という意味で「アーキテクト」なんですが、そういった職種の人達が、単独でスタジオを構えていたんです。そういった人たちが、新しい素材を作っている会社や工場に出向いて、「その技術でもってこんな家具を作ってみてくれない?」と持ちかけたんですね。当時イタリアの加工製造メーカー、素材メーカーはいわゆるデザイナーを抱えていなかったので、そういったメーカーがデザインオフィスと組んで、自分たちの力試しもあってどんどんポストモダン的な家具を作って世に生み出していった。その結果イタリアデザインが活性化していった、というのが私の理解です。
― イタリア全土、ということですか? それともやはり地域性がある?
渡辺 まさにあのエリアのお話ですね。
― 先ほど冨田先生が、日本人が胃の中の蛙になってしまっているということをおっしゃいましたが、こと建築の分野だと、日本人はポストモダンを色んな意味で学び取り入れた印象もありますよね。磯崎新さんしかり。
冨田 そうですね。その頃って、日本人はすごく外部から取り入れることが得意だったりするんです。海外に学びに行くとか。メンフィス(Memphis)っていうポストモダンで代表的なグループがあるんですが、そこにも日本人デザイナー(倉俣史朗氏、梅田正徳氏)が2人いらっしゃいますし。
渡辺 その時代に、ミラノでデザインの勉強をしていた日本人が結構いるんです。

地域から生まれる再興の潮流
冨田 メンフィスといえば今はKyoko Watanabeですからね(笑)。
― えー(笑)。
冨田 メンフィスって、今では家具の会社のイメージがありますが、スタート時はムーブメントだったんですよ。ムーブメントは期限を設けて始めたんですよね。10年だったかな。それでグループの活動はそのタイミングで終えて、製造部門だけは事業として続けていたんですよね。
当時ポストモダンの家具っていうのは過去のものになって廃れてきていたんだけど、ここ3年から5年くらい、また今再興しているんですよ。それを牽引しているのが、アルバ(ピエモンテ州クーネオ県)の人なんです。
― それは、たまたまアルバの人なんですか? それともやっぱり、土地が生み出す何かがあるんですかね?
冨田 そうですね。アルバはミラノよりもちょっと西側に位置しているんですが、地域的なものはやはりあると思います。そして、そこに資本を動かす人がいて、旗を振って工場を建てて、アルバにあるいくつかのデザイン企業を束ねて、ラディカルデザインっていうブランドをつくった。
渡辺 その、ラディカルデザインのディレクターが、私たちが主催する「イタリアデザインを探る旅」のなかでアルバ中をいろいろ案内してくれているんです。
― 繋がりましたね。ラディカルデザイン。











